百影堂のブログ

創作人形、あやつり人形、節供人形など…

雪女、淡雪童女、冬幻童子を作る前に一度、深い雪を見ておきたかった。

 一九九三年二月六日七日に山形にでかけた。ぼくは浜松の生まれで、深く積もった雪を見たことがなかった。雪女、淡雪童女、冬幻童子を作る前に一度、深い雪を見ておきたかった。
 六日は旧歴正月十五日。雪女が、雪の子供たちを遊ばせにあらわれるという。


 訪れた土地は、以前読んだ森敦の小説で印象の深かった、山形県朝日村の大網という土地である。この小さな部落に二つの寺があり、それぞれに即身仏が祭られている。

        

 その夜は、七五三掛から数百メートル下り、道路から二十メートルほど奥に入ったところにある木小屋に泊まることにしました。木小屋というのは、薪や材木を貯えておく小屋です。田舎のことですから、このような小屋には鍵は掛かっていないのです。

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 道路から小屋までの雪野原を、足を取られないように用心しながら踏み、小屋に入ったのは午後六時頃でした。寒河江市で買ってきた日本酒を手に取り、小屋の中にふりかけて、宿りを願いました。小屋にはいるとすれちがいに、はげしく雨が降ってきました。

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 小屋に入ったはいいものの、まっくらでなにもすることができない。ろうそくを持ってはいたのですが、火事でもおこしたらいけないと思い、使わないことにしました。       
 この日は、ほとんど一日歩きとおしてつかれていたので、まず眠って夜中に起きて、夜の雪景色を見ようと思ったのですが、寒くて眠ることができない。粗末な小屋ですから、風が吹くとがたがたみしみし鳴ります。また、入口から隙間風もはいってきます。横になると、すうっとからだが冷えてくるので、風のあたらない場所に、体温をにがさないように、じっとうずくまっていました。隙間風のあたらない場所といても、小屋の中にはぎっしりと木が置かれてありましたから、ぼくは隙間風のはいりやすい入口にいるよりほかなかったのです。それでも戸にびたりとからだをつけていますと、すこしは風があたりにくくなるのです。
 そんなふうにじつとしていてもからだの芯まで冷えてくるので、ときおり清酒を一口二口飲みますと、からだの内から少しずつ温まってぎて、うとうととするのです。そしてまた冷えてくると目が覚め、清酒を飲み、またうとうととする。そんなことを繰り返しているあいだにも、そとでは雨が降ってはやみ、降ってはやみし、風が小屋を鳴らしていました。

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 尿意をもよおしてきたので、雨が小降りになるのを待って外に出ますと、右手に朝日連山、左手に湯殿山の山肌、そのあいだに、雪明かりに照らされている大網の部落が一望できるのです。ぼくは、湯殿山にむかって手をあわせ、しょうべんさせてもらいます、とお願いして、放尿しました。
 ときおり雨がやみ、雲の切れ間から月の光がさし、雪のおもてをあをくひからせました。小屋の窓からそとを眺めながら、こんな夜に雪女はあらわれて、雪の子供をあそばせるのだな、と想っていると、また厚い雲が月を覆い、雨を降らせはじめました。
 小屋にはいったときは、詰め込まれた木々のすきまから何者かがこちらを伺っているような気がして、奥に目をむけることができなかったのですが、〇時を過ぎるころになると、気持もおちついてきて、もし何者かがいるとしても、きっとなにもしないだろうと思いはじめました。彼もまたこの小屋の中でじっと寒さをこらえているのだろうと思ったのです。おまえさんもたいへんだねえ、と声をかけてやりたいような気持になってくるのです。

 午前三時頃に小屋を出て、鶴岡に向けて歩けるだけ歩こうと思っていたのですが、真夜中にも雨は降りつづき、更には雷も鳴りはじめました。
 あまり長く座っているとお尻がいたくなってくるので、すこし寝ころびます。するとからだが冷えてふるえてくる。そしてまたうずくまってからだを温める。そんなことを繰り返しながら、夜の明けるのを待っていました。
 長い長い夜の後、空か明るくなりはじめたころ、もうひと雨激しく降りました。その雨が上がった頃合を見計らって、小屋を出ました。

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