百影堂のブログ

創作人形、あやつり人形、節供人形など…

「鳥の誕生」~人形集第四集~13

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「鳥の誕生」240㎜ 1996 (桂、胡粉彩色)
 毎朝、朝食後に庭を見回ります。庭にはクローバーや野菜の種が蒔いてあります。雨上がりの朝など、どの種からも根が出てきます。それから二三日もすると、根が土にもぐり、すこしずつ種の殼を持ち上げて、それから二葉がでます。その様子を一日に何回も見回って見ていると、本当に幸せな気持ちになるのです。

 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)

「かげふみ」~人形集第四集~12

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「かげふみ」140㎜ 1996 (桂、胡粉彩色)
 アフリカのある種族のことばでは「影」をあらわすことばと「魂」をあらわすことばが同じなのだそうです。影を人の魂だと考えていたようです。影に為したことは影の主にも及び、男女の影が触れ合うだけで妊娠してしまうとも考えられていたそうです。「生きている人間が落した影は、死者の魂との合体によって精神となる。(サラモ族)」

 人は心の影で、何を思っているのだろう。

 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)

「ふみよむ子」~人形集第四集~11

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「ふみよむ子」105㎜ 1996 (桂、胡粉彩色)
 大昔に失われた、古代アレクサンドリア図書館のことを思うと、いささかめまいがする。そこには、大昔の人々のこころや歴史が書かれていたはずだ。本には、放っておけば失われてしまうかもしれない、人の考えやこころが刻まれている。すこしずつでも、よい本を読みつづけたいと思う。しかし、本ばかりよんで、かえって道を見失ってしまうこともある。そんなときは、最高の智恵は人に親切にすることと、謙虚であることだ、というユダヤ人のことばをおもいだせばよい。

 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)

 

 

「野にふす」~人形集第四集~10

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「野にふす」270㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、銅)
 日々のわずらいをはなれて、野にふそう。

 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)

「あをぞら」~人形集第四集~09

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「あをぞら 」125㎜ 1996 (桂、胡粉彩色)
厚い黒雲を通りぬけて、青空まで、届くように。

 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)

「笑う子」~人形集第四集~08

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「笑う子」90㎜ 1996 (桂、胡粉彩色)
 こどもたちは惜しみなく笑う。あまりにも笑えないことが多いので、おとなはどんな顔をして笑えばいいのかこまっているようだ。命を抑え付けられている人もたくさんいる。それでも、こどものように笑えることはすばらしいことだ。

 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)

「考える子」~人形集第四集~07

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「考える子」125㎜ 1996 (桂、胡粉彩色)
 そんなことあたりまえ、では答にならない。あたりまえだといわれたら、もういちど自分のこころで、納得がいくまでかんがえてみよう。

 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)