人形集第四集
「鳥の誕生」240㎜ 1996 (桂、胡粉彩色) 毎朝、朝食後に庭を見回ります。庭にはクローバーや野菜の種が蒔いてあります。雨上がりの朝など、どの種からも根が出てきます。それから二三日もすると、根が土にもぐり、すこしずつ種の殼を持ち上げて、それから…
「かげふみ」140㎜ 1996 (桂、胡粉彩色) アフリカのある種族のことばでは「影」をあらわすことばと「魂」をあらわすことばが同じなのだそうです。影を人の魂だと考えていたようです。影に為したことは影の主にも及び、男女の影が触れ合うだけで妊娠してし…
「ふみよむ子」105㎜ 1996 (桂、胡粉彩色) 大昔に失われた、古代アレクサンドリア図書館のことを思うと、いささかめまいがする。そこには、大昔の人々のこころや歴史が書かれていたはずだ。本には、放っておけば失われてしまうかもしれない、人の考えやこ…
「野にふす」270㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、銅) 日々のわずらいをはなれて、野にふそう。 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)
「あをぞら 」125㎜ 1996 (桂、胡粉彩色)厚い黒雲を通りぬけて、青空まで、届くように。 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)
「笑う子」90㎜ 1996 (桂、胡粉彩色) こどもたちは惜しみなく笑う。あまりにも笑えないことが多いので、おとなはどんな顔をして笑えばいいのかこまっているようだ。命を抑え付けられている人もたくさんいる。それでも、こどものように笑えることはすばらし…
「考える子」125㎜ 1996 (桂、胡粉彩色) そんなことあたりまえ、では答にならない。あたりまえだといわれたら、もういちど自分のこころで、納得がいくまでかんがえてみよう。 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作してい…
「指揮者」240㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、古代布、天然石ビーズ) なにものにも影響を受けない人などありえない。さまざまな物や人が「私」に触れにくる。ときにあちらから、ときに自分から近づく。しかしどんなに力を受けても私は「私」でありつづけ、なにか…
「天地」150㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、古代布、天然石ビーズ) 土から生まれて、日月をめぐらす子。 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)
「おいのり 」125㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、洋白) 生き物のために、人がそこにいてすぐにしてあげられることはなんだろう。祈ることはその一つだ。 (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集…
「花摘み 」150㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、洋白) はなつます わらしごよ なのらさね (1996年から2000年ごろまで、木彫胡粉彩色による御所人形風の作品を制作していた。文章は、手製本の作品集に掲載した、その当時のまま。)
「世界樹」270㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、絹糸、革) 北ヨーロッパの神話に、ユグドラシル(Ygdrasil)という木のことが語られている。ユグドラシルはこの世界を支えている大きな木である。この木は世界の真ん中にそびえていて、この木が繁っているうちは世界…
「みみをすます」150㎜ 1996 (桂、胡粉彩色、絹糸) 耳を澄ますことは、ただ受け身に聞くことではない。耳を澄ますと聞こえてくるさまざまな音や声を、私への呼びかけと聞き取り、その呼びかけが私の耳を通して、私のこころのなかで統べ合わされ、私のなか…