百影堂のブログ

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「寺童」~杉田明十志人形集 第一集~ 16

16「寺童じどう」 270㎜ 1993

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 昔、快庵かいあんという禅僧があった。
 奥羽修行遍歴の途中、夕刻、一軒の農家に宿りを願った。しかし、農家の人々は僧の姿を見てひどおびえ、家の主は天秤棒で僧に殴り掛ろうとした。快庵が理由わけを尋ねると、家の主は天秤棒を納めて語った。
 近くの山に、由緒ある寺がある。住職には代々大徳の方が御坐りになる。今の住職も学問の優れた方であったが、去年の春、るお寺に招かれた帰りに十二三の美しい男の子を連れて来た。其れからというもの、其の子への愛に溺れて、修行も事務もおろそかにするようになった。ところがこの子がにわかに病に倒れ、手厚い看護の甲斐もなく、到頭亡く成ってしまった。住職は大層力を落とし悲しみ続け、肉が腐り始めると其の腐肉を啜り、骨を嘗めた。うして亡骸を食べ尽くすと、毎夜里に下りて来て、新墓を掘り返しては死体を喰っている。
 翌日、快庵は寺を訪ね、狂僧を諭し、座禅を組ませ、自分の紺染めの頭巾を被らせて帰った。
 一年後、再び寺を訪れると、寺は凄まじい荒れ方だった。が、狂僧は床の抜けた縁側に座戦を組み、低い声で呟いていた。月照こうげつてらし松風しょうふう吹く、永夜清宵えいやせいしょうんの所為しょいぞ。快庵は禅杖ぜんじょうを振り上げて一喝した。作麼生そもさん、何んの所為ぞ。僧の頭上目掛けて打ち下ろすと、その姿はたちまち崩れ、後には只、青頭巾と白骨が重なっていた。

             (参考:『日本伝説集』武田静澄著 社会思想社