百影堂のブログ

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「山ノ神」~杉田明十志人形集 第一集~ 02

第一集は、最初の個展『彼岸の子供たち』の展示作品をまとめたものです。会場は、埼玉県越生町の古民家ギャラリー『山猫軒』。民話伝説をテーマにした作品展でした。

 

 02「山ノ神」 (50㎝ 1992)

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九三 これは和野の人菊池菊蔵という者、妻は笛吹峠のあなたなる橋野より来たる者なり。この妻親里へ行きたる間に、糸蔵という五六歳の男の児病気になりたれば、昼過ぎより笛吹峠を越えて妻を連れに親里へ行きたり。名に負う六角牛の峯続きなれば山路は樹深く、ことに遠野分より栗橋分へ下らんとするあたりは、路はウドになりて両方は岨なり。日影はこの岨に隠れてあたりやや薄暗くなりたるころ、後の方より菊蔵と呼ぶ者あるに振り返りて見れば、崖の上より下を覗くものあり。顔は赭く眼の光りかがやけること前の話のごとし。お前の子はもう死んで居るぞという。この言葉を聞きて恐ろしさよりも先にはっと思いたりしが、はやその姿は見えず。急ぎ夜の中に妻を伴ないて帰りたれば、果して子は死してありき。四五年前のことなり。  

一〇二 正月十五日の晩を小正月という。宵のほどは子供ら福の神と称して四五人群を作り、袋を持ちて人の家に行き、明の方から福の神が舞い込んだと唱えて餅を貰う習慣あり。宵を過ぐればこの晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと言い伝えてあればなり。山口の字丸古立におまさという今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。いかなるわけにてか唯一人にて福の神に出で、ところどころをあるきて遅くなり、淋しき路を帰りしに、向うの方より丈の高き男来てすれちがいたり。顔はすてきに赤く眼はかがやけり。袋を捨てて遁げ帰り大いに煩いたりといえり。            
一〇七 上郷村に河ぷちのうちという家あり。早瀬川の岸にあり。この家の若き娘、ある日河原に出でて石を拾いてありしに、見馴れぬ男来たり、木の葉とか何とかを娘にくれたり。丈高く面朱のようなる人なり。娘はこの日より占の術を得たり。異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりといえり。

柳田國男遠野物語』より)

 

 山ノ神はまた、女神であるともいわれる。
 むかし、万三郎という両氏が山で産気づいた女に出会った。どうかたすけてくれ、というが、山では女は忌まれているので、万三郎は、今日の猟は台無しだ、と悪態をつき山を降りた。そこへ磐司という猟師が来て、女を哀れみ、お産の手助けをした。お産がすむと女は礼を言い、じつはわたしは山ノ神だ、おまえには山に入ればかならず獲物がとれるようにしてやろう、これはそのしるしだ、といって一巻の巻物を手渡した。
 それ以来、磐司が山に入ると、必ず大きな獲物をしとめることが出来た。一方、万三郎は全くえっ物を取ることが出来なくなった。
(参考:武田静澄著『日本伝説集』社会思想社現代教養文庫